本と輪 この3冊海老洋さん(日本画家)に聞いた僕が影響を受けた本3冊

本と輪 この3冊

海老洋さん(日本画家)に聞いた

僕が影響を受けた本3冊

2021年10月29日

海老洋(日本画家)

1965年、山口県生まれ。2003年以降、創画会賞を複数回受賞し2006年に創画会会員となる。「洗い出し」という技法から生み出される詩情に満ちた作風や、ものの「象・かたち」の成り立ちについて考える作品は現代日本画家のなかでも異彩を放ち、コアな日本画コレクター層から絶大な支持を獲得している。東京藝術大学美術学部准教授。

1
『春昼・春昼後刻』 泉鏡花

旅行には本が欲しい。ただ心配性で雨具や薬、非常食など、鞄が重くなる一方なのでずっとこの一冊と決めている。岩波文庫版は82gでスマホの半分くらい。車中で何度読んだかわからない。

どの頁も表現、リズムが美しく、字面まで好ましい。作曲科の教授に伺った「良い音楽は譜面ふづらが綺麗」という言葉を思い出す。鏡花を読むと、譜面だけ見て音楽を楽しめる音楽家の特権を得たように読書の能力が上がった心持ちになる。総ルビのおかげだが。

うっとりするまで、眼前まのあたり真黄色な中に、機織はたおりの姿の美しく宿った時、若い婦女おんなと投げたおさの尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下あしもとひらめいて、輪になってひとねた、しゅ金色こんじきを帯びた一条いちじょうの線があって、赫燿かくようとしてまなこを射て、ながれのふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。

この一文、一面の菜の花の中を赤煉蛇やまかがしが通ったというだけの情景描写だ。凄い。

2
『ムーミンパパ海へいく』 トーベ・ヤンソン

ムーミンシリーズは小学生で始まった読書の原点。シリーズ終盤に書かれた本作は、登場人物たちがキャラ崩壊しているようで小学生の自分には少し恐ろしく、そこに惹かれた。家族が互いに気を遣いながら個に沈んでゆくなかで、養女のミイだけが批判的に血の繋がらない家族と関わり話はすすむ。鳥の巣とアリのくだりでのミイの言葉が好きで、絵描きとしての生き方の指針としている。本作での彼女の批判精神は秀逸で無神経に正しいセリフが繰り返される。ただアニメ版の印象なのか世間での彼女のイメージには偏りがある。原作中にミイが自己満足のための意地悪を行う場面はない。自由であることに忙しい彼女には悪意はあるが暇ではない。

3
『高丘親王航海記』 澁澤龍彥

澁澤龍彥は小説が好き。言葉にエフェクトがかかり遠くから聞こえるような文章に現実感の曖昧な世界に引き込まれる。薬子が石を放る場面に主人公と同様に心を奪われ、その場面を日本画の大作にもした。大学院生の頃で絵の題名は文学的に凝らねばと思っていたが、主指導教官であった加山又造先生がそのひねくり回した題名に目に留め、笑って「なんだかわからないねぇ」と仰った。すごく恥ずかしかったのを覚えている。先生の没後、澁澤龍彥との親交があったことを知り、あの頃文学についてお話を伺う機会があったならと残念に思うが、それでも自分は何も訊けないのだろうと思い返し、その空想に一人また恥入ったりする。

(出典)ブックリスト「本と輪 この3冊」vol.3 2018.10

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