悲しみの太宰 9-4
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「長編」小説を書く、という決意、それは太宰の心のうちに芽生えた再生への希望の証だった。いや、その希望を担保として、心中事件を話の枕に用いることをよしとしたという言い方のほうがよりふさわしいだろう。この物語が最終的に、「道化の華」「姥捨」など、曖昧かつ不吉な予兆をはらんだエンディングの小説とならなかったことは、タイトルそのものが雄弁に物語っている。ところが、物語はいつしか太宰のコントロールの及ばない地点へと勝手に一人歩きしはじめた。
事実に照らせば明らかなように、冒頭に描かれた心中シーンでは、男女の役柄が反転している。だが、生き残ったさちよが、太宰自身の自画像でもあったことは疑いようがない。それを裏付けてくれるのは、数枝のアパートを出る際にさちよが書き記す次の一行である。
数枝いいひと、死んでも忘れない、働かなければ、あたし、死ぬる、なんにも言へない、鷗は、あれは、啞の鳥です、とやや錯乱に似た言葉を書き残して、八重田数枝のアパアトから姿を消した。(太宰治「火の鳥」)
その後、さちよは、「鷗座」の女優として、「三人姉妹」のオリガ役でセンセーショナルなデビューを果たすのだが、太宰は、ここでひどく錯綜した構図を作品に持ちこんでいる。ほかでもない、さちよの属する劇団名「鷗」もまた、チェーホフの戯曲から採られた可能性が高いのだ。したがって、右の引用に隠された作家の真意を読みとるには、チェーホフの「かもめ」と「三人姉妹」の二つの戯曲を、いわば複眼的な視点で俯瞰できる高みが必要とされてくる。
では、「鷗は、あれは、啞の鳥です」という謎めいた一行は、どこに由来しているのか。
当時、太宰が読んでいたと思われる「三人姉妹」に、それに該当する一行は見当たらない。ところが、どういう理由からか、「火の鳥」の二年後に書かれた短編「鷗」で、太宰は再び、この謎めいた台詞を反芻したのだった。作家として生きる決意表明とでも言うべきこの短編で、彼はみずからをこう宣言するのである。
やはり私は辻音楽師だ。ぶざまでも、私は私のヴァイオリンを続けて奏するより他はないのかも知れぬ。汽車の行方は、志士にまかせよ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら。私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。啞の鷗は、沖をさまよい、そう思いつつ、けれども無言で、さまよいつづける。(太宰治「鷗」)
「かもめ」の読者なら、ラスト近く、憔悴しきった女優のニーナが、再会した若い劇作家トレープレフにむかってうわ言のようにつぶやく次のセリフを覚えておいでだろう。
「わたしは――かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは――女優。そ、そうよ!」
三文作家トリゴーリンとの恋に破れたニーナは、自分が裏切った若い劇作家を前に、自らに言い聞かせるようにつぶやく。
大切なのは名誉でもなければ成功でもなく、また私がかつて夢見ていたようなものでもなくて、ただ一つ、耐え忍ぶ力なのよ。私は信じているからつらいこともないし、自分の使命を思えば人生もこわくないわ。(アントン・チェーホフ「かもめ」)
このセリフに記された「耐え忍ぶ力」こそは、太宰が、「火の鳥」に託して最終的につかみとろうとしていた希望の光だった。さちよ=「かもめ」が演じる「三人姉妹」の長女オリガとは、ロシア中部の田舎町に置き去りにされ、ひたすら「待つ」ことだけを運命づけられたヒロインである。太宰=オリガが、激動の時代を前に新しく自覚し始めた天命もまた、彼女のそれと深く響き合うものであったに違いない。(つづく)