2026年01月
悲しみの太宰 4-1
「わしの新居は泥の底」(太宰治『新ハムレット』)
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必ずしも的を射た表現とはいえないかもしれないのだが、太宰は、根本において「憑依」の作家である。端的に、他人になり代わろうというすさまじい欲求の産物として作品の多くが産み落とされた。思うに、憑依の能力と道化の才能は一体であり、たんなる模倣でも、感情移入でもありえない。つかのまながらおのれを消し去り、他者の声を借りうけて生き直そうとする。もっというなら、世界の向こう側に好んで立ち、本来ならばけっして知りえない領域に分けいり、その秘密をうかがおうとする。ただしそれが、喜ばしい経験となる保証はなく、幻滅や失意、あるいはそれらから自分を守るための無関心は、「憑依」の作家が抱えこむ代償とでもいうべきものとなる。
二人の人間、一組の男女――。そもそも、信じる、いや、信じあうということは、厳密にどのような状態を意味しているのだろうか。信頼が成立するために前提となるのは、信と不信のぎりぎりの境界線に立ちつつなお、互いの内面にはけっして立ち入らないという無言の約束である。悲観的すぎると思う向きもあるだろうが、それは、信頼が守られるための究極の条件といってもよい。したがって、太宰が求めてやまなかった理想のエロスもまた、まさにこの境界線上での信と不信の相克として発現せざるをえなかった。ところが、ほかのだれよりも信頼を裏切ることに長け、ほかのだれにも増して裏切られることに傷つきやすかった太宰は、やがてその境界線を踏みこえることなしに心の安寧を得ることが困難になる。そしてその安寧への欲求は魂の奥深くにしぶとく根を張り、固着化の気配さえ見せはじめたのだった。では、その境界線の向こうに広がる光景とは、どのようなものだったのか。それこそは、海。不信の全面的な解消を約束する、そして不信を信へと暴力的に捻じ曲げる力のシンボルとしての水、いや深海のイメージではなかったろうか。
こうして、信頼とエロスの幸せな一体化を求める太宰は、永遠の自己矛盾に苦しみ、のたうち回り続けた。そして結局のところ、稀にしか訪れることのない理想の悦楽を思い描きつつ、現実に妥協し、有象無象の織りなす浅ましくも虚しい愛にともにまみれて生きていった。「人間失格」や「ヴィヨンの妻」などの名作だけが、その美しい形見というわけではない。じつのところ、信と不信のせめぎ合いは、彼の作品の隅々にその暗い影を落としていた。なぜなら、信頼の「ゆらぎ」こそは、強者たる彼のマゾヒスティックな感覚を掻き立てるエロスの光源だったからである。そして私が、太宰のうちに半ば無意識に読みとろうと願ってきたのも、まさに信頼の美しさと、信頼が破れ去る光景の無残さのコントラストだった。
「走れメロス」を見てみよう。古代ギリシャの「古伝説」(「ダモンとピュティアス」)を下敷きとし、一般に、人間同士の信頼を謳いあげたとされるこの小説もまた、太宰の手にかかれば、たちまちにして苦い発見の書となる。いや、太宰はむしろ、絶対的と見える信頼のなかにも濁りは存在し、その濁りにこそすべての人間的な真実が宿るという認識を作品のどこかに書き添えずにはすまなかったように見える。そしてそこに、古代ギリシャの「古伝説」が、傷だらけとなって現代に生きる人間たちの物語として甦る秘密が宿されたのだ。
「私は、途中で一度、悪い夢を見た」(メロス)
「私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った」(セリヌンティウス)
思うに、どんなに固い信頼にも、人間である以上、疑いが芽生えうる。生か死か、乗るか反るかのぎりぎりの状況に追いつめられた人間同士であれば、むしろそれは当然である。むろん、その不信を理由に相手を責めることはできない。むしろ、そうした人間のもつ根本的な弱さを礎とすることで信頼は新たな価値を生む。太宰はそのことを、柄にもなく大真面目に訴えようとしていたのではないか。「走れメロス」は、その意味で、一九三七年の「心中未遂」以降、みずからの呪わしき傷を癒すプロセスで学び取った、いわば倫理的帰結を示すものともなった。
では、「走れメロス」から四年後の一九四一年に書かれた戯曲体小説『新ハムレット』で、太宰は何を問おうとしたのだろうか。私見によれば、信頼と不信の観点から、『新ハムレット』ほど分析の対象として好都合な例は見出しがたい。原作のプロットは、比較的単純である。王妃に裏切られ、殺された国王が亡霊となり、王子ハムレットにその復讐を命じる。王子は、劇中劇を仕組んで犯人を暴き出し、復讐の挑むが、その結果、王家一族全員が死を遂げる。まさに酸鼻をきわめる悲劇である。では、シェークスピア劇のパロディ化という無謀とも思える試みのなかで、太宰はどのような新たな物語をスピンオフさせようと企んでいたのだろうか。たんにパロディ化の遊戯を楽しもうとの心づもりだけだったのだろうか。
「これは、やはり作者の勝手な、創造の遊戯に過ぎないのである」(「はしがき」)
「勝手な、創造の遊戯」――。戯作作家の前口上に騙されはいけない。たとえ、遊戯の産物だったにせよ、太宰は、そこに何かを仕掛け、何かを隠したと見るのが妥当である。そのことを疑わせるディテールがいくつかある。ただし、核心となるのは、むろん、一つである。
さて、『新ハムレット』が書かれた一九四一年といえば、日本全体が戦争勃発の不吉な気運に支配されるなか、太宰の生涯において稀にしか訪れることのなかった安寧の日々が連想される。石原美知子との結婚から二年、長女園子の出産もあって、太宰は、少なくとも表向きには安定した日々を過ごすことができた。では、自らのそうした安定と『新ハムレット』の執筆の間にどのような隠された因果性を探り当てることができるのか。そもそもなぜパロディの対象が「ハムレット」でなくてはならなかったのか。いま、この問いに深く立ち入る余裕はないが、執筆に関わる外的な「発見」はいくつか挙げることができる。第一に、戯曲と小説の混合体という特異な「ジャンル」の発見。第二に、世界的名作を隠れ蓑にして自らを語るという、偶像破壊的な喜び。第三に、検閲との闘いにおけるサバイバルの手段として擬態の有効性の確認。これらの「発見」に遭遇できた作家にとって執筆の作業それ自体が、スリリングな感覚を伴う快美なひと時となったことは間違いない。
では、肝心の実人生との関わりにおいては、どうなのか。そのあたりの事情は、不明確ながら、井伏鱒二への私信のなかに示されている。
「私の過去の生活感情を、すっかり整理して書き残しておきたい気持ちがありました。その意味では私生活かもしれません」(昭和十六年八月二日)
「過去の生活感情」――。この短い表現には、両義的な意味を飲み込んだ過去の明暗が示唆されているが、太宰の関心が明と暗のどちらの側に傾いていたかを知るには、彼の魂のさらなる深部に分け入る必要がある。「整理して書き残しておきたい」という回顧的気分もどこか不気味に謎めいている。他方、ある種の達観さえ想起させるこの心のたたずまいは、一九四一年という、安寧の日々を得て、初めて到達可能となった境地だったことは間違いない。
そこで、先の井伏宛の書簡にある「私生活」を念頭に置きつつ、改めて『新ハムレット』を読み直してみる。書き出しから中間部付近まで、太宰はいくつか、余裕とも思える脱線を重ねている(「ああ、そうか。坪内さんも、東洋一の大学者だが、少し言葉に凝り過ぎる。」「お母さんは総入れ歯だぜ。」など)。ただしその書きぶりは、総じて真摯きわまりない。そこには、現代人の心性にねざしつつ、原作から異なる、独立した価値をもつ「ハムレット」を生み出そうという気迫がみなぎっている。さらには、物語が後半に向かい、とりわけ王妃とオフィーリアの対話が始まるあたりから、この作品が、太宰の作品のなかでも高度に自伝的ディテールをたくし込んだ作品であることが明らかになってくる。ハムレットと作者の太宰の一体化が進むにつれ、作品全体から、少なくとも、人間味、人間臭さ、という点で、シェークスピアの原作に劣らない生々しさが発酵しはじめるのだ。むろん、中世ヨーロッパの王侯と戦中日本の無頼たちの暮らしを同じ尺度で比較することそのものがナンセンスであることは認めよう。しかし、西欧古典の最高峰という、煌びやかなレッテルに目くらまされず、フラットに物語を追いかけていけば、太宰がこの小説に満たしたリアリティが、思いもかけない深さに達していることが理解されるはずなのだ。事実、こうしてシェークスピアに素手で向かいあった太宰は、傍若無人といえるほど自信に満ち、遠慮知らずだった。
「事前に於いては、舶来品よりも、すぐれた純国産飛行機を創らうといふ意気込みがありました。外国の二流三流の作家よりは、日本の作家のはうが、昨今、ずっと進んでいるのだといふことを直接に証明したい気持ちでした」(井伏宛、昭和十六年八月二日)
(つづく)