エッセイ

2026 6/24

悲しみの太宰 8-2

エッセイ

 面白いことに、太宰は、鷗外訳による原作のほぼ半分近くを本文中に引用している。とくに第二章は、一五枚分のうちのじつにその三分の一が、地のテクストで占められている。太宰は、なぜ、パラフレーズという方法に頼らず、そのまま延々とべたの引用を重ねるようなまねをしたのか。読者が少なからず疑問に感じるところだろう。しかし、冷静に考えてみると、理由は、さほど難しいものではないことがわかる。要するに、太宰は、「新聞記著みたいな冷い心」で描写されたこの物語の「生ぐさい迫力」に魅了されただけなのである。では、なぜ、この小説が、翻案小説の対象として選ばれたのか、といえば、それこそまさに、彼の「動物的な嗅覚」のなせる技だった。
 では、太宰、いや、DAZAI(すなわち、入れ子型になった新たな小説の語り手)が、オイレンベルグの共作者としてこの物語をどうふくらませていったのか、簡単に見てみる。
 太宰がこの「女の決闘」でとった方法とは、原作に登場する登場人物やプロットの運び、さらには文体などに自分なりの注釈を加え、原作では触れられることのなかった医学生の内面描写や、夫の独白を織りまぜることで、一幅の絵として額縁に収まった物語に、三次元的な奥行きを与えることだった。この小説にはそれだけの価値があるとにらんだのだろう。
 太宰は、この物語が明らかに現実を模写した作品であると考え、その「的確すぎる」表現に、「一種不快な疑惑」を抱くとともに(「うま過ぎる。淫する。神を冒す」)、この「的確さ」の背後には、作中の女主人公にたいする作者の「抜きさしならぬ感情」(すなわち憎悪の存在)を認めた(「的確とは、憎悪の一変形でありますから」)。要するに、決闘に勝利し、未決檻で自死する「女房」の亭主とは、ほかでもない、作家オイレンベルグであるとの仮説に立ったのだ。
 「女の決闘」は、ここからは、太宰ならぬ、DAZAIを語し手とする物語に早変わりする。DAZAIがここで試みたのは、第一に、女学生の内面の復権である。未決檻で自死する「女房」のギリシャ悲劇的ともいうべきヒロイズムとは対照的に、DAZAIは、「女学生と亭主の側」からこのドラマを改作し、徹底して散文的な色合いに染めあげていった。たとえば、決闘の現場に向かう途中、「女房」の後ろからついていく女学生について書かれた次の一行に着目する。

  女学生の方が何か言ったり、問うて見たりしたいのを堪えているかと思われる。

 DAZAIは、このとき女学生が口にしたと思われる言葉や、その心の内側を、彼なりの洞察で再現していくが、そこで浮かびあがるのは、作家と女学生の冷え切った関係であり、あまりに能天気な作家のエゴイズムである。決闘を翌朝に控えた晩、アパートを訪ねてきた作家に向かって、女学生は次のように言う。

  芸術家というものは弱い、てんでなっちゃいない大きな低能児ね。

 これはすでに、DAZAIというより、太宰の世界観そのものではなかったろうか。
 さて、物語の主人公である「女房」には、二つの視線が向けられている。女房の夫と想定された原作者オイレンベルグと、太宰(DAZAI)の二つの視線である。その二つの視線が、「女房」のうえで交錯する。面白いのは、「女房」が遺した「遺書」をとおして、その真実を語りつくそうとするオイレンベルグ同様、DAZAIもまた、「女は玩具、アスパラガス、花園、そんな安易なものでは無かった。この愚直の強さは、かえって神と同列だ」としてその深い衝撃を綴っていることである。では、二人の視線の分かれ目はどこにあったか、といえば、原作者が追及しようとしない夫の浅薄なエゴイズムを、翻案者のDAZAIは、容赦なく切りきざみ、厳しい批判の目にさらしている点である。
 DAZAIによって綴られた続編では、愛する二人の女を死に追いやった張本人が、その後も無事生き延びていく。《いやに胸騒ぎがするな》などと呟き、世をはかなみつつ、胸に銃口を押し当て引き金をひくこともない。作家は、「身中の虫」というしぶとい作家魂があってこそ、芸術家なのだ。拭うに拭えない、見者としての執念――。おそらく、この「身中の虫」を殺しえないがゆえに、芸術家は芸術家となり、作家は作家となる。しかし、たとえそれが普遍的な真実であるにしても、太宰が「女の決闘」の翻案小説に手を染めたのは、たんにそれだけのことを言うためだったろうか。いや、けっしてそんなはずはない。
 「興覚めの強力な実体」や「いやな恐るべき実体」をいちど目撃した作家は、その後も、人生への観察力を深め、底光りするような大作家へとつつがなく成熟できるのか。DAZAIは、むろん、そのような楽観的展望を描きだしてはいない。たしかにそのような作家もこの世には存在するかもしれない。しかし、少なくともDAZAIが、登場人物に選ばせた作家の道は、そのような予測のもとに生きることをよしとするような道ではなかった。DAZAIが空想する「作家」は、その晩年、「ふやけた浅墓な通俗小説ばかり」を書き、「体重も以前の倍ちかくなって」大往生する。これが、オイレンベルグその人でなかったことは自明のことである(オイレンベルグは、太宰が死ぬ翌年一九四九年に没した。享年七三歳)。(つづく)

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