2026年09月

2026 9/2

悲しみの太宰 11-2

舞台は、「津軽地方」の「多少内福らしき地主の家」、時は、「昭和二十一年一月末頃より二月にかけて」とある。主人公の数枝、二九歳、その父、伝兵衛、五四歳。第一幕は、部屋の片隅にあるストーヴを囲む主人公の数枝とその父伝兵衛のやりとりを中心に展開するが、冒頭で数枝は、津軽の田舎に暮らす人々の、いや、「日本の現実」の、千年一日のごとき俗悪さについて、吐き捨てるように言う。

負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに、それをまあ、恥かしいとも思わずに、田舎の人たちったら、馬鹿だわねえ・・・。(太宰治「冬の花火」以下同)

太宰は、戯曲の最後で、この、いささか気負いの立った台詞にうまく帳尻を合わせているが、物語は、そうした政治的発言とは別の、より深い心理的レベルで進行する。父親の伝兵衛は、投げやりな数枝の台詞にたいし、切り口上で反論する。

それはまあ、どうでもいいが、お前にいま、亭主、というのか色男というのか、そんなのがあるというのは、事実だな?

思うに、太宰はこのセリフに、戦後津軽の、いや、戦後日本の、相も変わらぬ俗悪な日常性にたいする批判を託したわけではなかった。太宰は、そうした、およそ思想的とも社会的ともいえない言辞を隠れ蓑に、彼がつねに回帰せざるをえなかった「不信」のテーマをこの戯曲に忍びこませようとしていたのである。しかし、日常生活そのものの俗悪さにたいする数枝の嫌悪は、むろん太宰自身のそれと深く交差していた。
他方、父親の伝兵衛は、戦地で夫を失った数枝が、早々に男を作っていることが許せず、数枝の二重性をはっきりと見定めている。かつて数枝は、弘前の女学校を終えるとまもなく、故郷を出て、東京の専門学校に通いだしたが、やがて「小説家だか先生だか何だか知らない」島田との同棲生活がはじまると、学校をやめ、娘の睦子を出産した。しかし、夫の島田が出征して、戦死するや、「鈴木」という年下の若い画家と同棲をはじめた。そうした数枝のわがままをすべて許し、伝兵衛に内緒で仕送りもし、経済的精神的に彼女を支えてきたのが、伝兵衛の後妻のあさだった。第一幕の後半で、数枝は、思いもかけず、恩人あさにたいするはげしい思慕を吐露する。

好きで好きで武者振りつきたいくらいだったわ。お母さんだって、あたしを芯から可愛かったらしいのね。(中略)本当はね、(突然あははと異様に笑う)お母さんとあたしとは同性愛みたいだったのよ。だから、いやらしくって、にくらしくって、そうして、なんだか淋しくて・・・。

数枝が口にする「同性愛」の一語は、あさとの間に血縁関係がないだけに、異様ななまめかしさを帯びる。数枝の一方的な自己吐露は、「駈込み訴え」で、イエスへの、なかば「同性愛的な」愛憎の念を生々しく告白するユダの心情を思い起こさせる。いずれにしても、数枝の癒されぬ思いは、どこに向かい、どのようにして昇華されていくのか。(つづく)

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